現場でクリエイターは求められていないという話

業種は伏せますが、僕は小さな会社でクリエイティブ系の仕事をしています。

業界に入って、ちょうど10年。後進の育成を考えねばならない時期です。と言っても先輩風を吹かす輩のウザさを嫌というほど味わってきたので、僕は新人教育にあまり熱心ではありません。飲みにも行かないし、昼飯も誘いません。めんどくさいから。

そして飲みに行けば僕は絶対にクダを巻いてしまうとわかりきっているから。

なぜなら僕はもう、この業界に入る前抱いていた夢や野望といったものを完全に忘れてしまったのです。そんなことをキラキラした目の若者に聞かせたくない。仕事に疲れたオッサンの愚痴など、路上に落ちてるタバコの吸い殻並に無価値です。

とはいえ、僕のようになって欲しくないと思う気持ちだけは日々くすぶっています。なので、こうしてブログに残しておくことにしました。


僕がこの10年で学んだことといえば、技術よりも何よりも、プロジェクトの中では拘りを捨て去らなくてはならないということでした。

出版、アニメ、ゲーム、キャラグッズ、どの業界でも日々クリエイターを求めている、需要に対し供給が追いついてない、という話を聞きますが、あれはみんなウソです。騙されないでください。いや、人材はたしかに足りない。だが企業と個人の使うクリエイターという言葉は全然違うのです。


クリエイター。その言葉にこんなイメージをもったことはありませんか?

拘り抜き、丁寧にモノを作る人。

イイモノを作るためなら何度でも泥水を啜る覚悟のある人。


これらは幻想です。僕が学生時代にさんざん言われてきた言葉は、悲しいけれど真実でした。企業が欲しがっているのは仕事に対する拘りが薄く、手を動かすのが速い人間です。拘りも丁寧さも無用の長物です。むしろ煙たがられます。


そしてまた悲しいことに、クリエイターというものは何度でも泥水を啜る覚悟のある人だというのもまた、幻想なのです。味方はいません。

泥水というとわかりにくいですね。多くの泥水に相当するものがありますが、わかりやすくいうと赤入れです。

あなたは赤入れを受け入れられますか?と聞いたとき、イエスと答える人間は実はメチャクチャに少ないということです。

もし管理職に回るつもりのある人はもう諦めてください。絵師もシナリオ担当も、みんな赤入れは大嫌いです。ここを直したらよくなるのにな、ということが5つあったら、順位付けをし、忘れられるものは極力忘れます。こうしないと、ボトルネック扱いの吊るし上げ面談が待っています。僕は新人の頃、的確な赤入れを沢山してくれていた上司が他の新人からボトルネックだと指摘され、紆余曲折の末にノーチェックになったプロジェクトを知っています。





そして、最後。これが一番重要です。

めんどくさいオッサン/オバサンにならないでください。


僕のように人に面と向かって話せるほどの勇気もなく、飲み込むこともできずにブログでこんなことを書かないとやってられなくなってしまえば、そこには虚無しかありません。